勤労感謝の日
この週末は結局、勤労感謝の日だけを休みました。
勤労感謝?
何に感謝する日?される日?(^^;)
仕事があってありがたい? のか? な?
働く人に感謝?なのか?な?
わからない事はウィキに聞こう!
勤労感謝の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年(昭和23年)に公布・施行された同法により制定された。
農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。また、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」である。
おぉ!元々は新嘗祭かぁ! 収穫祭♪
納得。
言われてみりゃ、この時期の祭事だね。
紅葉の京都へ遊びに行くと、観光地の大きな有名な神社でも
祭事の為に拝殿周辺が立入り禁止だったりするもんね。
で?(^^;)
感謝する日?される日?
わからない事はウィキに聞こう!
新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。大祭。また、祝祭日の一つ。
収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。
え、え~っと、、、(^^;)
か、か、かか、感謝する日か。
だよね。
農耕が労働の主体だった時代は、貨幣による経済が発展する前は、
働けば必ず見返りがあった訳じゃなくて
必死に苦労して汗しても、報われる事は決して保障されておらず、
自然条件によっては収穫が得られない年もあった。
今のように、
単に御時給を貰うように、決められた給与があるように
出勤さえすれば当たり前の様に手取りがある時代では
『勤労感謝』って言葉からでは、
その意味の深さが分らない人が多いだろうなぁ。
かと言って、
第一次産業から大きく離れた人口が多い今では、
『収穫祭』ってったって、本筋の意味は伝わらないんだろうなぁ。。。
お嫁ちゃんの職場には、
『只出てくればお金がもらえる』って思ってる
そんな勘違い野朗(アルバイター)が多いんだってさ。
あ、
すんまへん。
只単に、
連休がとれなかった、社会の底層の労働者の愚痴です。(^^;)
あ、
で、
そんな、
貴重な休日の勤労感謝の日は、
前夜の深酒にもかかわらず
毎日の習慣で朝早く目覚めてしまい、
かと言って、目覚めたものの
お嫁ちゃん始め家族全員まだ夢の中だし、
自分自身もとにかく身体と心を休めたいので
積極的に二度寝。。。。
あ、いや、とりあえず、
起きたら、
ビールを1本飲んだ♪
朝は身体が脱水気味で喉が渇いているので、
起きがけのビールは超美味いよね。^^
独身時代、
布団じゃなくってコタツで寝ちゃった時なんか特に、
目覚めた時のビールの美味さったらなかったなぁ。。。
昼前に起床して、
せめて身体に良い事を・・・と、
自分自身で包丁を握り、手間隙掛けて、
美味しくて栄養満点の朝食を作り、家族を起こす。
御飯、納豆、味噌汁、ヨーグルト、みかん。甘いもの(お菓子)。
鍋一杯の豚汁が見事に売り切れて、
「あのボリュームが無くなるの!?」 とお嫁ちゃんが驚いていた。
子供達も育ち盛りだ。(父ちゃんも。。。^^; メタボまっしぐら)
あ、
で、
本題の、
この休日の過ごし方は、、、
物凄ぉ~く寝たくてゴロゴロしたかったんだけど、
午後からは男児達にせがまれて出動。
自由に遊んでくれる子供達は放っておいて(横目で見ながら)
竿も投げっ放しの放ったらかしで、
耳には好きな音楽を突っ込んでいました。
Jay Young の (アルバム)100%を聴きながら
うつら・・・うつら・・・・・と、現実逃避。
夕まづめ時にはお決まりの場所へとのリクエストで、
3時過ぎには九頭竜川のいつもの場所へ移動。
北寄りの風が強くて身体が冷えましたが、
日没~黄昏まで頑張って、
釣果はスズキとハゼ。
寒い。
感覚が半分無くなった手でハンドル握って帰宅し、(自宅まで15分)
直ぐにお風呂を沸かしました。
飲みながら入浴♪
はぁ~。。。
子供達は納得したのか?
俺は自転車乗りたかったんだが。
・・・(--;)なっとくしてないんだが。
そんな週末だったんです。
勤労感謝の日。
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