城下町でおしごと
午前中は、地元の城址の現場。
今週は連日、此処に居ました。
これまでは、御堀に囲まれた本丸跡(今は県庁が建っている)の石垣が
『城跡』を感じさせるのみでしたが、
本来の御城の縄張りはこの何倍も広大で、
南の足羽川、東の荒川を最外郭とするイメージ(約2Km四方)
4~5重もの堀(濠)に複雑に囲まれたものでした。
今は繁華街となっている片町通りの辺りも、かつてはお堀の跡です。
片町通より東は元々城内で武家屋敷、
西側は町屋が広がっていました。
徳川家康の次男である結城秀康によって築かれたお城で、
幕府直々に全国の諸大名に命令して行なわせる
『天下普請』として築城された由緒在るものです。
天主は江戸時代に焼失、それ以外にも城跡だった場所は
廃藩置県後の明治には行政によって様々に転用され、
その後、街自体が戦災と震災で壊滅してしまった為、復興再整備ののち、
分り易い痕跡は本丸跡のみとなっていました。
二の丸であった場所には小学校が建っていた時代があったりして、
変遷を経て、市役所横の敷地は『中央公園』となっていましたが、
その、今まで在った公園を一旦リセットして、
城址の雰囲気を感じさせるものにしようとする工事が進められています。
(↑新たに造られたこの場所には今後水が張られ、御堀の様になります)
発掘作業によって出てきた大量の笏谷石(石垣)も再利用し、
歴史公園としての景観の一助となるようです。
普請の際に識別(仕事した証拠?)の為に彫られたマーク。
本来は目に触れない側にして積まれるそうですが、
敢えて見せる事で歴史の痕跡を感じられますね。
行政の狙い通り、市民・観光客の憩いの場となって
市街中心部の魅力を上げる場所になれば良いな・・・ と、思います。
高速を飛ばして隣県へ移動して、
午後は、
百万石の城下町の駅前へ。
平日なのに観光客や出張ビジネスマンが途切れる事無く、
カメラを構える人々が次から次へと・・・
江戸時代には外様大名の旗艦みたいな存在だったこの土地は、
現代にあっても、越前福井とは街の規模が全然違いますね。
この週末に、北陸新幹線開業一周年のイベントを控えているので
駅前の噴水のお手入れです。
作業中も、とにかくカメラを構える人がひっきりなしなので
画角に入っちゃ悪いかと思い
遠慮して気を遣いながら。。。
この、
様々な文字を浮かび上がらせる噴水の前で記念撮影する方が多くて、
(集合写真や自撮り)
その背後を、
ヘルメット被ったオッサンがウロチョロしてて、
実に申し訳なかったです。(--;)
ここのところず~っと、寒空の下で水にまつわる仕事だったので、
どうやら風邪をひいたよう。。。
くしゃみ鼻水が止まりません。
(T..T)
雪山や厳冬の寒さは全然平気なのに、、、
何でかな?(^^;)
ぐっすし。。。
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