週末。
県外に居る長女の顔を見に行ってきました。
土曜朝の講義を受けて帰宅した娘と合流し、
とりあえず、その更に奥の隣の県へ。
とりあえず仏様に参り、
最近、観光情報でよく登場し気になっていた
土蔵造りの町並みが残る 『 山町筋 』 へ。
旧い建物をそのまま利用したお店で、
お昼御飯をいただきました。
心の癒し・栄養には、
『非日常』とか、『プチ贅沢』とかが確かに効果的なんだけど、
一番大切なのは、
思い切って 『 ゆっくりと時間を使う 』 ってことなんじゃないかな。
それって、
結構難しいよ。
スタッフ?? 違うな、店員さん? ねぇさん?
何て呼び名が相応しいんだろう?(^^;)
おばちゃん(おばあちゃん)達で切り盛りしているお店だったので
ドジなミスがあったり、色々ツッコミ入れたくなる事とか
笑うしかない事とか起きるんだけど、
人柄の良さと持て成す気持ちはちゃんと伝わってくる。
イレギュラーな事にも、店内のお客さんは誰も怒らず
にこやかに・・・
そんな時間が流れています。
注文がちょっと遅れる位でイライラするような人が
こんな素敵な空間へ足を踏み入れませんようにと、
祈りたい気持ちになりましした。
お腹が落ち着いたら、
国宝のお寺へ移動。
砂利敷きの庭から中へのエントランスにある山門が
修繕作業に入っていて、ちょっと残念でしたが、
(↓ 昨年訪れた時の山門)
素晴らしい、禅宗のお寺の境内の雰囲気は堪能できました。
ここは、前田利長の菩提寺です。
加賀百万石と言うと石川県、金沢が思い浮かびますが、
今は別の県となった富山も、同じく前田家が治める領地でした。
信長~秀吉に仕えて出世し加賀藩の領主となったのが前田利家。
その後、利家亡き後に関ヶ原の合戦を経て
120万石を超える日本最大の藩を創り上げたのが
二代目の前田利長です。
(石高は、面積ではなく農産物の生産力を表すもので、
一石は大人一人が1年に食べる米の量に相当するとされます。)
利家の代から続く、家康との政治的な駆け引きから
家康の内孫の許婚(いいなずけ)となった利常に家督を譲り、
利長は富山へと隠居します。
この時、利常はまだ11歳。
隠居したとはいえ、
実際には利長が居城を移しただけでしょうね。たぶん。
兼六園の3倍という広大な縄張りを持つ
高岡城への入城は1609年。
前田利長は、利家から仕えていた主君への忠義心から
本能寺の変で亡くなった織田信長の分骨を迎え弔いました。
その利長公も一緒に祀った石廟が、
境内の奥にひっそりと在ります。
織田信長、信長の側室、織田信忠(信長の子息)、前田利家、前田利長、
加賀藩前田家の創世へと続く五人のお墓です。
さて、
加賀藩の財力を存分に示す江戸初期の建造物、
お寺の雰囲気が
素晴らしい。
小雨の降る中ではありましたが、
良い時間を過ごす事が出来ました。
京都や奈良ではない、北陸の地にも
こんな素敵なお寺が在る。
私の家族は、
父ちゃんの趣向のお陰で(せいで)
年中修学旅行みたいな感じなのかも・・・? ^^;
その後は、
女子達の趣向を満たす為に
こんな場所へ寄り道し、
男子退屈な時間に耐えて、耐えて、、、
金沢へと戻り
娘の家に泊りました。
父ちゃん漸く
部屋飲み。。。
日曜へと続きます。
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