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2018年8月

2018年8月30日 (木)

紫電

 

平日は22時位に帰宅する生活になった。

 

 

週後半からは気候が不安定になり、

木曜日の帰宅ドライブは

北の空、日本海上空の方が派手に荒れていて

実に爽快な眺めだった。

 

断続的どころか

1秒一発で次々と稲妻が明滅し、

雷鳴の余韻が途切れる事がない。

素晴らしいショー。

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子供の頃から雷を眺めるのが好きだった。

 

今住んでいる北陸では、雷と言えば冬の風物詩。

『 雪起こし 』 が定番。

発達した雪雲が近付くとゴロゴロと鳴りだして

程無く霰(アラレ)が落ち始め、

それに続いて雪が降り始める。

それが、冬の間は当たり前の日常。

雷は

どちらかと言えば

北陸人の心にとっては、重く暗いものだ。

 

しかし、

生まれ育った岐阜では、

雷と言えば夏のもの。

梅雨の仕舞い頃に来る大雨時に

派手に雷が光りまくると

『あぁ♪梅雨が明けて夏が来る!』 と、

何だか嬉しいような気持ちになるあの感覚。

夏の仕舞い頃、夕立が増え始めて

雷が暴れまくると

『あぁ、、、そろそろ夏が終わるなぁ、、、秋になるかぁ。。。』

とか、

そんな風に、

夏が来て~過ぎゆく

その季節感と共にあったのが雷。

 

季節感を伴うのは同じなのだが、

暗く重い北陸とは違う

爽快感を伴う様な気持ちだったのが

岐阜に居た頃の私。

ゴロゴロと聴こえると

慌てて二階へ上がり、

窓にへばり付く様に

雷様を探して眺め続けた。

そんな

子供時代の無邪気な記憶。。。

 

そんなのを思い出させる

夏の終わりの気象でした。

 

 

 

自宅近くのコンビニへ着いた途端に

猛烈な土砂降りとなり、

暫く車から出られない膠着状態となった。

 

ビール買うなってコトか?。な。。。

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2018年8月25日 (土)

緩 徒然

 

予定通り

今年も順調に仕事が詰まってきて、

週明けからは年末までずぅ~~~っと

残業生活になりそうだ。

 

この週末は思い切って

自分を緩める時間。

 

お嫁ちゃんに我がままを聞いてもらい、

隣県まで少し遠出。

帰りは運転手をお願い。

 

先ずは、いつもの中国茶のお店へ

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今日は薬膳茶にしました。

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一煎目は2分。

二煎目以降は徐々に時間を延ばして様子を窺いながら、、、

雑誌をめくりつつ、お茶を愉しみます。

 

そして、

お粥ランチ♪

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身体に優しい。。。

 

どんどんと中年体型が進行してゆくけど、

『 美味しい 』 って、ほんと、素晴らしい癒しだ。

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お嫁ちゃんサービスで

1軒だけ雑貨屋へ寄り、

お風呂へ。

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川のせせらぎを見下ろす温泉宿で、

立ち寄り湯です。

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露天風呂も、自然の音と風が心地良く

良い時間でした。。。

 

湯上りは

定番のプシュりとマッサージ機。

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ゆっくりと後から上がってきたお嫁ちゃんも

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ぼよんぼよん。

 

その後はマンガ部屋へ移動して

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ゆる時間続行。。。

 

なんだけど、

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仕事の事は、中々忘れられないなぁ。。。

 

 

そんな休日でした。

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夕飯は初物の秋刀魚♪

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美味しい♪

 

 

 

 

この週末は、

少し嬉しい事がありました。

 

高2の長男が、

父の後を追ってきてくれた。

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まだまだ今からだぞ。

もっと上を目指せよ。

技術者として一人前になるには、15~20年掛かると思え。

25年以上この仕事をしているお父さんだって、

まだまだ知らない事が日々出てくるし、

自信が持てない自分と闘っている。

 

 

私が初めて社会人になった時は、

学生時代にアルバイトに行っていた先へそのまま就職してしまって

親方一人、子方一人の関係でした。

全く畑違いの学部で学んでいたので

この仕事に必要な資格を取ったのは、その後の事です。

 

「〇〇君。電気は絶対にこの世から無くならんでな。

 俺はペンチとドライバー1本あれば生活してゆける。

  家族を養えるだけの腕を、君にも教えてあげるからな。」

私の親方は、

そんなふうに私を導いてくれた人でした。

 

今は、ステップアップ的に

もっと複雑な仕事をする職場に居ますが、

技術者としての心得は、

あの、親方の言葉が

全てです。

 

自分の腕で家族を養うんだ。

 

息子よ、

将来、愛する家族をちゃんと護れるように、

実直に

働きなさい。

 

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2018年8月20日 (月)

釣り

 

昨晩、長男が

「 釣りへ行きたい 」 「 中古釣具屋へ行きたい 」 と、

しきりにアピールしてきたので

今日はそれへのお付き合い。

中古屋と、もう一軒と、二軒はしごして

ゆっくり目の出動で

海へ。

 

高校生の男兄弟二人と父ちゃんと三人での釣りなので

カヤックは定員オーバー。

久々の陸っぱりです。

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夕飯に南蛮漬でビールが猛烈にやりたい気分だったので

今日はサビキで小鯵狙い。

 

買ったコマセが無くなるまで2時間程

結構忙しく、

中々の釣果でした。

思っていた時間よりかなり早くの帰宅。

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丸揚げの南蛮漬けには少々大きいか? なサイズだったので

お嫁ちゃんの命令で

頭は全部落とす事に決定。(--;)

丸揚げならば楽なのに、のに、のに・・・

 

ゼイゴ(側線に沿った、尾近くの硬く尖った鱗)を削ぎ、

頭と内臓を外して、腹の中を綺麗に掃除し、

肛門近くに在る独特の棘の様な骨を

親指と人差し指でつまんでちぎって抜くような感じで取り除く。

(尾に向けてと、内臓方向に向けてと、

 T字型のように鋭い骨があるので、これがあると

  食べる時に刺さらないかと不安。)

どうせなら美味しく食べたいから、

一匹一匹を納得ゆく状態にしたい。

 

何匹釣れたのか?

捌きながら途中まで数えていたのだが、

ちょいと長丁場な作業になってしまい、

ビール休憩入れたりで、、、失念。

釣るのは楽しいが、

やっぱ後の作業は面倒だ(笑)(^^;)

 

下処理が済んだら

台所をお嫁ちゃんへ明け渡し。

 

希望通り、

夕飯には、作りたての南蛮漬けと、

揚げたての鯵から揚げが並びました。

うま!ビール♪

 

幸せ♪

 

 

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2018年8月17日 (金)

お盆休み

今年のお盆休みは、14(火)15(水)16(木)の三日間。

例年通り帰省しますが、

前後を仕事に挟まれたこの日程では

あまりゆっくりできませんなー。(--;)

 

14日の午前中に家族揃って出発。

電車で帰省してきた長女を最寄り駅で拾い上げ、

そのまま、岐阜の私の実家へと向かう。

 

前に、

やっぱ寄り道。

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女子メンバーの御機嫌を整える努力です。

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まあ、私にとっては、

毎回延々と歩き続けるだけで・・・

 

と、

思っていたら!

何とこの時は

県立博物館が出張ブースを設けていてくださって、

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(↑本物に普通に触れられます)

何気に気持が満たされました。^^

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実家には二泊しましたが、

これもいつも通り、二晩共御馳走で持て成して戴き、

三世代揃っての宴でした。

 

夜は、

娘と布団を並べて寝た。

 

 

一晩目が明けて翌朝は、

こんな御洒落カフェへモーニング。

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開店前に既に行列が出来るお店。

我々も列に並び、オープンと同時に入店。

席へ通された時に店員さんから

「パンを焼くのに20分程掛かりますので・・・」

と、スイマセン的な説明を受けましたが、

いやいや、ゆっくり出来るのはウェルカム。

先のお客さん達へと給仕される良い香りに満たされてゆく店内で

朝の一時を。。。

 

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で、モーニングセットはこんな感じ。

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プレートの中身は

全員が同じではなく、全員違う。バラバラ。

キッシュが超美味しかったのだが、

そのキッシュも、家族皆違う種類だった。

カップに入れられた葉っぱは、みんな一緒。

ボリューム満点だが

無理して頑張って食べなくても大丈夫、

お持ち帰り用のシステムがちゃんと用意されているので

気を遣う必要はなく

殆どのお客さんが

お会計のレジへ向かう時には

お持ち帰り用に詰めたパンを携えています。

 

昼間は、

女子を昨日とは違うショッピングモールへ降ろし、

男子は日帰り温泉へ。。。

父ちゃん、とにかくゆっくりしたいんだよ。。。

 

ぷくぷく。。。

 

湯上りに

お買い物終えた女子達をピックアップしたら、

市街中心部へと移動して

柳ヶ瀬の裏路地散策などして

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長女の希望でもう一軒ショッピングモールへ寄り、

やれやれ、実家へ帰宅。

 

そして夜はまた

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御馳走様。。。

 

 

明けた朝は、

実家の神棚と、お爺さんお婆さんの遺影に手を合わせ、

家族揃って墓参りへ。

 

幸せな事と思うが、

父方の兄弟が多かったのと、本家の叔父家族のお陰で

親族間の交流が多い一族だったので、

私が子供の頃は、正月の宴会など

今の時代からは考えられない人数で

実に盛大だった。

従弟も大勢。

多くの顔が想い出の中にある。

 

本家の叔父は、自らハンドルを握ってバスを運転し、

毎年、親戚皆を方々へ旅行に連れて行ってくれた。

 

改めて、

墓石に彫られた御先祖たちを

指先でなぞる様に確認し・・・

 

お婆ちゃんはよく憶えているが、

祖父は私が生まれた時には既に居なかった。

 

この・・・ 終戦の数年前に

二十歳そこそこで亡くなられている女性の方は

お爺さんの兄弟なのかな・・・?

父の随分上の姉か?聞いたこと無いなぁ。。。

時代が時代だから、、、若いなぁ。

・・・などと、

 

色々と、、、

 

そして、

墓石の文字を示しながら

祖父と祖母

(我が子達にとってのひいじいちゃん・ひいばあちゃん)

の名前を家族に教え、

この二人が居なかったら、

お前達も、俺(父ちゃん)も

誰一人この世に産まれなかったんだからな。

と、

言い聞かせるように伝えました。

 

よく考えればそんな事当たり前なのですが、

我が子達も眼から鱗的に気付いた様で

ちゃんと御参りしてくれていました。

 

先祖という存在は、

そう言う事です。

私が知っているのは祖父母までですが、

それよりもずっとずっと先へ遡っても

同じ。

その先祖の一人一人の全てがあったから、

今生きている我々が在るのです。

安っぽい言葉になってしまいますが、

奇跡的な事だよ。

それが、今の自分の存在。

 

ちゃんと生きなけりゃ、

バチが当るよね。

 

 

この帰省中は天候不安定が続いたので

観光地らしい観光地へは行かず、

帰路も直ぐに高速に乗り、

寄り道無しでした。

 

福井へ戻ったら先ず、

土砂降りの合間を縫って、

お嫁ちゃんの方の実家のお墓へ。

 

彼女がいてくれて

出逢えた事は、

愛する伴侶が隣に居てくれるって事は、

幸運で幸せな事だ。

それも御先祖が在っての・・・ ってのは、

やっぱ当たり前なんだよなぁ。

で、

その当たり前は、

様々な プラス+プラス+プラスの積み重ねの結果で、

考えられない位に宇宙的低確率の出来事だって事。

なんて言うとやっぱ安っぽい表現だけど、

やっぱ、

そうなんだもんなぁ。。

 

 

福井へ戻って、お盆休み最期の夜。

独り暮らしへ戻る前の長女に、

「食べたいものを食べさせてやる(^^)何が良い?」

と問うと、

「〇ー〇〇〇〇のピザが食べたい」

???そうなの?

焼肉とか?焼鳥とか?寿司とかじゃないのか!?

まあ、良い。

わかったよ。^^

片道20km以上車を走らせて、

開店時間に合わせて

一番乗り。

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娘の・・・ とか言いながら、

父ちゃん早速、直ぐに生ビールとグラスワインだ(^^;)♪

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で、

メインの前に、

窯で焼いた甘エビ♪

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高温のピザ窯で焼かれた海老は

殻がサクサクで香ばしく、頭まで丸々超美味♪

味噌が詰まった頭はホント、超最高!♪

そりゃぁ、

酒が足りなくなるわな。

ホントこれ、自宅で出来ないんか?

 

で、これがメイン♪

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このお店のマルゲリータに勝るものには

中々出遭えないよねぇ。

てか、他へ行く必要が無い美味さ。

 

にしても、

家族5人で食卓を囲むのは久々だなぁ。。。

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デザートまで、

我が家はやっぱ父ちゃんの影響でか?

食いしん坊揃いだった。^^

 

 

 

一夜明けて、、、

お嫁ちゃんは子供達を連れて家を出て行ってしまいました。

 

住まいへ戻る長女を送るついでに、

皆で泊まりに行くんだってさ。。。

 

お盆休み終了。

 

この週末は

金・土と父ちゃん仕事。

 

独り寂しく励みます。

 

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2018年8月11日 (土)

夏の想い出

01
今日は、毎年恒例の行事。

海無し県の群馬から甥っ子を連れて帰省してくる義妹家族への

御接待です。

 

同じく海無し県である岐阜出身の私は、

海というものが如何に特別な存在で、

『 海水浴 』 というものが如何に憧れの対象であるかという事を

よく知っている。

小学校の頃、

夏休み明けに、クラスメイトの〇〇君が

「福井まで家族で海水浴に行った」 なんて自慢しようものなら、

彼は一躍スターで、羨望の眼差しが向けられたものだ。

 

だからという訳では全く無いのだが、

大学入学で福井へ来て

初めての夏休み、

私は

背中の皮が何度ズル剥けになったか分らない程、

毎日の様に海へと通っていた。

 

そして、結局そのまま、

この土地に住み着いてしまったのです。

 

 

さて、

御一行を率いて

例年通り

人が少なくて気楽で駐車料金も徴収されない

いつもの浜へ行ってみたが

予報通り波風が強く、沖では白兎が跳ねまくりで

波打際のホワイトウォーターも大きな帯を造っている。

子供を遊ばせるのは危険。

 

仕方なく、県境を越えて移動、

石川県の塩屋へとやって来た。

大聖寺川の河口近くの此処は

日本海にしては遠浅の砂浜が在り

50m程沖にはテトラが入れられているので、

強風の条件でも割と波が穏やかだ。

私が未だ二十代だった頃には浜茶屋が建ち

賑わう海水浴場だったのだが、

随分前に浜茶屋は廃業して消えてしまい

今は、駐車場が満車になる事など無い。

往時を知る身には、少々寂しい想いを憶える場所だ。

 

んで、さ

ここはいつもの浜と違い、

駐車位置から波打際までが遠く、

大~変なんだよ。(^^;)

 

砂丘の土手で満開の 『 ハマゴウ 』 に癒されながら

何度も往復し、

02
汗だくでの設営作業です。

 

長時間こんな場所で過ごすには、

日陰が必要だからね。

03
今日は風が強く、難儀した。

(テントの裾を見ると風の強さが分るでしょ?)

お嫁ちゃんは、『無理じゃないの?』って顔してたが、

大丈夫じゃ、協力してくれ。

骨組みを立ち上げたら、

風下側から幕をはらませて被せ、

風上側のポールを息子に保持させて、順にペグダウン。

ちゃんと建ててみせた。

 

このスクリーンテントは、独身時代の購入。

既に25年位?前のものだ。

我が家のように毎年何度も使い込んでも、潮にあてまくっても、

肝心の部分(フレーム集合箇所の樹脂部品)は壊れる気配も無く

幕は、シームテープが劣化してきた以外は何の不具合も無し。

(几帳面な人ならば、

 きっと、シームテープくらい自分で貼り直すね

  ボクはぐうたらだからしないけど。。。)

今でも全然問題無く活躍してるんだから、

『 SOUTH FIELD 』 ってブランド(アルペングループ?)

悪くないな。^^

時間の積み重ねが、この品物の優秀さを証明している。

当時、若い私の財力では

他の一流ブランド品は買うことができず

妥協的に買ったこの品物だったが、

結果的に、友人や家族の数々の想い出を支え、

素晴らしい活躍をしてくれている。

 

貧乏庶民の私の

他愛無い意見なのですが・・・

結局、道具ってのは道具なので、

道具自慢や購入満足度にはあまり興味が無くって、

何をしたくってそれを買ったのか?

それを使って何をしたのか?

どんな想い出が出来たのか?

ってのが、大事なんだよね。。。 ボクにとっては。^^

 

ところで

最近、『 グランピング 』 なんて言葉を聞くが、

あれは絶対に目指さない方が良い気がする。

だって、こんな程度の設営でも

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結構大変。(^^;)

大概、父ちゃんが一番大変な役割で被責任者になるから。。。

 

やれやれ、

汗だく。

 

それでも、

皆が笑顔ではしゃいでくれるのなら、

それで好し。

だ。

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お嫁ちゃんも義妹親子も楽しそう(^^)

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おいおい、仲良しお前ら!

あんま沖へ行くなー!

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預かってる側は、

色々と気を張るね。。。

 

監視員の合間に

火を焚いて、

昼食や、コーヒー休憩。

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やれやれ・・・

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皆が満足したら、撤収!

(また何往復も・・・風の中テントをたたむのも大変・・・)

場所を移動。。。。。

 

 

次はこんなところへ。

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8月11日は 『 三国花火 』

これも家族の恒例行事だ。

 

ほんと、

やれやれ・・・

忙しない休日が、やっと落ち着いた感じ。。。

今日初のビール♪

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九頭竜川左岸側のマリーナ駐車場で

テーブルを広げ、晩御飯を食べながら・・・

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打ち上げ失敗の事故じゃないよ(笑)

水中花火。

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火を点けた玉を舟から海へと投げ入れて逃げるやつだ。

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自分を突き抜けて後ろへと飛んでゆく衝撃波が爽快!

やっぱ花火はいいな~

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駐車場内で見ているので、

車のガラスやボディーに反射して映る光が、

何気に、素晴らしく美しい。

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衝撃波で度々駐車車両の防犯装置が作動し、

あちらこちらからクラクションの断続音が鳴るのも

毎年恒例(笑)

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今年も素晴らしかったです。

 

 

~~~ 祭りの後 ~~~
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疲れたなぁ~~~

 

 

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2018年8月 9日 (木)

ハンデキャップ?ディサァドバンテージ?ビハインド?

医療ドラマを見ていた。

主人公の医師が知的・発達障害の設定のやつ。

今話では、

天才ソプラノ歌手である少年が喉の病気で入院してきた。

その話の中で、

患者少年の父親が

「(息子は)1ステージ百万円(のギャラ)なんだぞ!」 と

医師を威圧する言葉を吐いた場面で、

主人公が 「ボクのお給料の5か月分です(^^)」 と、無邪気に答えた。

 

父親の歪んだ人間性と

主人公の障害の特性を同時に描いたシーン。

何てことないのだが、

私はその刹那に・・・

そうか、つまり、

月給20万円っていう設定なんだね。。。

と、思い、

頭の中でグルグルと複雑な思考を巡らせ、

何だか、重い気持ちになった。

 

このドラマの主人公は、いわゆる発達障害であるのだが、

その中でも、『サヴァン症候群』 という、

知的障害が在りながらも極特定の分野に限っては

天才的な能力を発揮するという

稀な種類の障害者である設定だ。  

それが何なのか、って事は特に問題でもないし

何も思わない。 

どうか、

この主人公が受容れられ、活躍できる、

彼の個性を活かせる社会環境になれば良いなと、

その様な事を社会に示すドラマになれば良いなと、

主人公の彼を応援しながら見ています。

 

傍らで視ている妻も、

度々涙を流す。

 

只、、

しかし、

月給20万に何故私が引っ掛かったのか、、、

 

 

障害のある子が義務教育の期間を過ぎ、

そういった学校で

今の時代では当たり前になった高等部までを無事終えると、

自動的に社会へ出されてしまう。

新社会人の子供に限らず

大人になってから事故や病気で障害を負った方々も同様ですが、

就労して、給料を得て

『自活する』 という事は、本当に難しい。

 

障害者の場合、仕事に就く形態(分類)としては、おおまかに

・一般企業への就職

・一般就労を目指した就労移行支援

・就労継続支援A型

・就労継続支援B型

に分類されます。

 

●一般企業への就職は当然難しい。

ドラマの主人公は、おそらくこの状態。

 

●就労移行支援は

障害者の中で、一般企業への就職が可能だと見込まれる人が対象です。

就労移行支援事業所は、一種の訓練機関であるので

雇用契約は無く、給料は支払われません

逆に、世帯年収などに応じた基準で

利用料金を支払わなければなりません。

 

●就労支援A型は、事業所と雇用契約を結ぶ関係なので

最低賃金が保証され、社会保険への加入も義務付けです。

つまり、給料が出るのですが、

実際の金額は6~7万円/月。(最低賃金は時間額)

そこから、社会保険分が引かれる事になります。

これが実態。

少し古い数字ですが、

厚労省が出した平成24年度の平均賃金データで、

(就労支援A型は)6万8691円となっています。

平均値なので、田舎ではもっと低いのかもしれません。

 

A型は、

就労移行支援を利用したが一般企業に就職できなかった人、

障害のある子が特別支援学校を卒業し、就活したが

一般企業への就職が困難な場合・・・

などが対象となります。

(他にも条件が有りますので、検討中の方は御自分で慎重にお調べになってください)

 

●就労支援B型は、

A型の仕事も困難だという方が対象となります。

B型では雇用契約は結ばれませんので、非雇用型とも呼ばれます。

つまり、給料は支払われませんが、

作業の対価として工賃が支払われます。

実態として、2万円/月 前後です。

これが現実。

 

 

親や家族が護っている状況ならば何とかなるでしょうが、

個人となっては、自活は極めて難しい。

何らかの金銭的補助制度は勿論、人的補助が無ければ

生活の維持などできません。

 

 

お給料20万円って・・・

ねぇ。

障害を持った方々、その家族にとっては、

ちょっと、非現実的過ぎるかな。。。

 

 

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2018年8月 4日 (土)

海で寝る

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今年も仕事が込み合う時期が近付いて来て、

心の疲労が徐々に蓄積し始めているのを感じる。

現実逃避的に何処かへ行ってしまいたいが、

持ち帰ってでも仕事をする必要がある状況に加え、

この週末は

土曜に子供の学校行事や所用が立て込んでいて

まとまった時間がとれない。

 

う~~~ん。。。

 

悶々と過ごしていても何も好転しないので、

 

思い切って、

金曜に仕事をあがって一旦帰宅後

「今日海で寝てくるわ。」 と、お嫁ちゃんに告げ

荷物の準備。

 

末っ子と二人で出掛けました。

 

買出しを済ませて、

こんな場所へ寄り道。

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平成最期の夏も、

ちゃんと夏だ。(^^) 楽しまなきゃ。

 

いつもの場所へ着いたら

ライト片手に砂浜をパトロールし、必要分の流木を集める。

砂浜での幕張りは、普通のペグでは全然ダメなので

私はいつも

杭を現地調達し、打ち込んで固定しています。

息子もそういった段取りは身についているので

どんなサイズ、形状の物が必要なのかは

説明しなくても良い。

 

暗闇でテントを建てる事自体は苦ではないが、

今夜は少々風が強くて難儀した。

風上側から順に、二人で力を合わせて。。。

 

漸う設営完了して

『 ぷしゅ~ 』 に辿り着いたのは21時半を過ぎた頃でした。

02
やれやれ・・・

汗で濡れた服を着替え、

(^^)やっと、この、贅沢な時間。

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寝床をしつらえて、

諸々済んだら

後は只、

好きに過ごせば良い。

 

水平線には美しい漁火が煌き

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頭上には満点の星空。

今夜は雲一つ無く、天の川もはっきりと見られました。

ハンモックを出し、

ぼーっと空を眺めながら酒を飲む。。。

 

流れ星を二つ見る事が出来ました。^^

 

風は徐々に収まり、

この時間になると

気温も快適。 

 

久々に、超熟睡の夜でした。。。

 

 

眠くなったら自然に寝て、

自然に目覚める。

朝焼けが見たいと言っていたのに

彼はまだ深~いところから戻って来ない様。

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父ちゃん少し散歩だ。

 

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防風林の丘には

ナデシコに、ハマゴウ。

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ゆるゆると・・・

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お、

起きた

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朝飯食うか。

 

お湯を沸かして、

簡素な食事。

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さて、

どうすっかな。

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やっぱ泳ぐよね。

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やがてお嫁ちゃんが合流して、

二度目の朝食。

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で、

泳ぐよね。^^

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(^^)

 

波打際にキリギリスが居たので、

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すくい上げて

土手の森へと運んであげました。

確実に、

秋が近付いているねぇ。

 

 

 

さて、

あまりゆっくり出来ない。

時間を気にしながら撤収し、慌てて帰宅。

夫婦で、福祉関係のセミナーへと向かいました。

更に、夕方からは末っ子の学校の納涼祭。

いつものお手製花火大会で〆て、

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慌しい休日が終わりました。

 

 

 

夏が過ぎ行きます。

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