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2019年11月 6日 (水)

大きな人

 

この三連休は結局、

全日現場出動だった。

随分長く休めておらず、

あまり精神状態が良くない。

 

バランスを保つのが大変です。

 

 

 

 

 

人生の中で

私が時折心を寄せる方の中に、

植村直己という人がいる。

  

中学生だった私が手に取った本、

そこで出遭った。

 

北極点に単独行で立った人の手記、記録、ドキュメンタリーを読み、

胸を高鳴らせ、

わくわくする感じと、

人生って何なんだろう?

自分は、何の為に、何を目指し生きたいんだろう?

と、

思春期の自分が抱える葛藤や

もやもやとしたものに重ね、

その文章を

むさぼり読んだ。

 

そこには結局、

何の結論も、答えも、明確には書かれていない。

そもそも、記録であるのならば、

理想的な誘引なんて一切無いのではあるが・・・

 

過酷な状況の中で

自分の命を支える大切な犬ゾリの犬は死ぬし、

取り巻く人の裏切りがあっても、

そんな事に一々センチになっている場合ではなくて、

それを踏み越えて自分は生きなくてはならない。

そんな日記。

困難を乗り越える過程の、記録記だ。

その先に明確なゴールが在る訳でもないのに

自分なりに納得できる何かを目指して

命懸けの状況を

時に必死に、時に淡々と戦う日記。

 

少年だった私には、

その中に、

言葉では表せない

自分が生きてゆく為のエネルギーそのものの様な

大きな答えを指し示すように感じられたのです。

 

 

その中で何故か、

中学生だった私の頭に最も強く印象に残り

ずっと記憶している一文が・・・

寝起きに植村のテントを白熊が襲い

シュラフの中で息を殺して迷う間に、

横になっている植村の頭を

テント生地の上から熊の大きな足が押さえ付けた場面の、

「きみちゃん、俺は死ぬよ。」 だ。

家庭から遠く離れ、

そもそも家族との営みなんて感じられないような人が

死を覚悟した時に、

自分の時間がもう終わるかというその時に、

奥様を想っていた。

その事が、

少年の私の心に

深く記憶されている。

 

大人になって、家族を持ち、

自分が雪山で遊んだりするようになってからも、

「きみちゃん、俺は死ぬよ。」 は

決して私の頭から離れず

常にクサビの様に刺さって

私を律しています。

 

植村直己には憧れますが、

現実の私は、

自分がやりたい事好きにやって家族を残して死ぬのは、

本望では無いのです。

 

少年から大人に変わって、

家族と、周囲の人々への責任を思うに付け、

自分は、

植村直己の様にカッコ良くは生きられないし

そんな男の生き様も示せない。

ただ、

自分が目指す男、妻にとっての自分は、

カッコ良い必要は無いのではないか。

カッコつけて誤るんじゃなくて、

カッコ悪くても大切な事を護る。

自分は、

そう強く在りたいなぁ。

と、

思う日々です。

 

 

 

それでも、やっぱ、

心が疲れた時には、

こんなのを読んで

わくわくする初心を思い出したり、勇気を貰ったり。

 

まだまだ、

自分独りでは自信を持って歩けない私です。

 

 

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