« 向き合う日々 | トップページ | 連休中の事 »

2021年4月10日 (土)

春の・・・

ひねもすのたり

のたりかな

 

が、

理想なのだけれど、、、

それには程遠い荒れた海でした。

01_20210411220701

写真では全く感じられないけれど、

こんな日の波打ち際は中々の重低音が響き続けなのです。。。

今日カヤックを出したら

軽く死ねるな(--;)アカンアカン。

 

私の頭から出てくる与謝蕪村の句は、

『ひねもすのたり・・・』と、『ところてん逆しまに銀河三千尺』 くらい。

江戸三大俳人の一人である事以外には

あまり詳しく知る方ではありませんが、何故か

『 ひねもすのたり 』 は

語呂の良さからか

春には結構な頻度で頭に浮かびます。

とはいえ、日記の題として引用し書き始めてしまってから

蕪村の事を実はよく知らない自分が気になり始めて、、、

ネット検索。。。

京都の丹後与謝野町にルーツを持つそうで、

大阪、江戸、東北、丹後、京都、四国、と居を移しながら

貪欲に自分の人生を生きた人。 との印象です。

現代では自給自足から大きく離れ

小腹を満たす為の一食にすら金が要る。

経済が強く生活を支配する今の世では

旅するように生きるのは中々に難しい事なのだと思いますが、

行動力を持ち自由に人生の行き先を決められる生き方には

憧れますね。

 

人は皆、

様々なしがらみの中を生きているのだけれど、

その柵を、ハードルを、

力強く軽やかに飛び越えられる

そんな自分になりたいなぁ。。。

 

そんな

しがらみへの

ささやかな反抗心と、

癒しへの渇望。

未だ肌寒い気候だが、折角の好天なので

久々に海へやってきた。

02_20210411221501

人生山あり谷あり・・・

今は谷のどん底。

(詳細は端折りますが、、

  中々・・・会社・仕事から頭が離れられず・・・)

そんな状況なので

心身共に健康を維持するのが難しく

半ば諦めの日々が続いています。

 

何時もの様に常に宿題山積みだけれど、

思い切って割り切っての強引な休日確保。

03_2021041122220104_20210411222301

超久々の、ゆるい時間。。。

現実逃避とも言うね。

 

釣竿も出してみた。

05_20210411222601

海が荒れ過ぎで、

仕掛け絡まって大変だった。。。

けれど、釣りってのは、

期待とわくわく感がいい。

何事も先ずはやっぱ

エントリーしないと、

何も始まらない。

人生はやっぱ、自分から仕掛けを投げなきゃ、

諦めずに投げ続けなきゃ、

何も釣れないんだよなぁ。。。

 

 

さて、

Wi-Fiも飛んでいないし、

分かり易い現代的な娯楽は何んにも無いんだけれど、

この場所の幸福感は最高♪

06_20210411223701

心の赴くまま、、、

そんな時間を過ごす事が出来る幸せ。

07_2021041122460108_20210411224701

見上げる空に雲一つ無し。

09_20210411224901

幸せの定義は人それぞれでしょうが、

理屈ではない無条件の幸福感ってのはやはり在って、最強なんです。

よ。

10_20210414220001

焚き火で足の裏を温める。

火を囲み、火をなぶりながら家族と語らい、

11_20210414220501

無言になりながら、

時間を共有する。

12_20210414220601

只々、

日没を眺める。

13_2021041422100114_2021041422100115_20210414221101

結婚前、二十代前半の頃から此の浜へ通っています。

この場所で夕日を見送るのは何十回目なのかも分からない程だが、

未だにグリーンフラッシュは見られていません。

17_20210414221601

自分の目で見られなくても

せめて・・・と、毎回狙ってシャッターを切りますが

一度も撮れていない。

余程稀な条件でしか出現しない現象なのでしょうか。

18_20210414221601

まあ、

それは、

そこまで拘っている事ではなくて・・・

只、

単純に、

この時間が好きなだけ。

19_2021041422280120_20210414222801

いつもの様にね、

彼女(お嫁ちゃん)と末っ子が一緒で、残念ながら独りの時間ではないのだけど、

それでも、それも、

幸せな事です。

21_20210414222801

末っ子、背ぇ伸びたなぁ。。。

『末っ子』 ったって、もう18歳だもんな。

22_20210414222801

帰りの運転はお嫁ちゃんだから、

心ゆくまで飲ませていただいた。

23_20210417154801

今の時代にはそぐわない

家庭を顧みる暇も無いようなこんな男の傍にいてくれる彼女には

本当に感謝している。

彼女無しに、今の私の人生は存在していません。

社会的な今風な人権に基いた良否評価に於いては

極めて悪い主人・夫なのだろうと自覚しています。

明らかに昭和過ぎる関係性(家事の負荷バランス)ですから。

日々様々な負担を掛ける彼女に対して、いつも引け目負い目を感じているし、

申し訳なく思っている。

 

家族にとって、子供の将来ほど重要なテーマは無いです。

それについて、

食卓や教育躾を中心とした『子育て』の総論部分には偉そうに参加しがちな夫ですが、

その各論詳細部においては結局、物理的時間的制約から妻が行うことになってしまう現実。

様々な場面での実際の段取りはやはり、結局、お母さん頼りになってしまう。

私は決して彼女を下に見て軽んじて、家事や子育てを雑用として押し付けているのではないのだけれど、、、

気持ちと現実の乖離が

分かりやすくダメな

ダメオヤヂだ。

24_20210417154801

これだけ彼女に負担を掛けているのに

仕事の方もちっとも上手く行っていないんじゃないか。。。。。。

現実逃避しに来たはずなんだけれど、

しっかり酔ったはずなんだけど、

最後まで

心の中は晴れてくれなかった。

25_20210417155501

充~~~分 。。。 幸せなはずなんだけどなぁ。

 

自分ってホント

周りに気を使い過ぎでストレスに弱いんだなぁって、

もっと鈍感で図太い性格に生まれたかったなぁって、

本当に思います。

 

 

 

余談ですが、

『 しがらみ 』 とは 『 柵 』 。

現代に於いては文字通り

何かの存在に制限を設けるものとしてマイナスの意味で使われますが、

元々は水流の中に杭を打ち堰のようにしたりして流れを制御する役目の物を指します。

具体的な実物の例としては

伊勢神宮を訪れた事がある方は目にしている筈ですが、

門前街から内宮へと歩を進め川を渡るあの橋の上流側に

『古い橋の名残?』 みたいな物が在りますよね。( ↓ )

Shigarami

あれ(↑)が 『 しがらみ 』 なのです。

大水の時に

上流から流れてきた大きなゴミや流木などが

橋脚に直撃する事を防ぐ役割を担っています。

いわゆる、昔からの先人の知恵です。

 

私は、

そっちの意味の、

古来の意味の 『 しがらみ 』 にならなければいけない。

そう思って

生きています。

 

 

|

« 向き合う日々 | トップページ | 連休中の事 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。